1.「飲み会に出ない」という選択
近年「飲み会に出ない」「残業をしない」と主張する人々が増えている。
これは働き方改革やライフスタイルの多様化の象徴とも言えるが、本当に良い選択なのだろうか。
社会で生きる以上、他者との差別化は避けられない。報酬に固執しない、物はいらないといった価値観も尊重されるべきだが、その考えが未来永劫変わらないとは限らない。結局のところ、経済的に一定の余裕がなければ、どんな価値観も維持することは難しいのである。
2.社会の中で生きるしかない
我々はどのように状況が変わっても社会生活を送らざるを得ない。
つまり「社会に合わせる」ことは前提であり、そのうえで差別化を図ることが重要になる。
「自分はこうだから」「世代がこうだから」と言い張るのは大人げない態度である。飲み会や残業は目的ではなく、必要に応じた手段として使いこなすことこそが社会人として成熟した行動であると考える。
原始時代に遡れば、人類は社会生活を進める事で身体的な弱さを補完し、現在に辿り着いたと考えれば、社会との関わりは無視できない。
3.残るか転職かという選択
キャリアの分岐点においても、差別化は避けられない。
ある組織や会社に残るという選択も、転職するという選択も、結局は自分をどう差別化するかに帰着する。
残る場合は、その組織内で自分の存在意義を際立たせる必要がある。
転職する場合は、新しい市場や職場で「他では得られない価値」を示す必要がある。
いずれにしても、差別化を放棄した選択は「ただ流されるだけ」であり、長期的な成長や安定にはつながらない。
4.成功者もそうだが
歴史を振り返れば、突出した経営者も、現代のYouTuberも、成功の本質は「圧倒的な差別化」にある。
例えばアメリカのあるYouTuberはスニーカー転売をビジネス化し、セレブとの関わりを通じて大きな財を築いた。単なる転売ではなく「誰もが簡単にはアクセスできない環境に差別化要素を置いた」からこそ成功したのである。
そこまで、登りつめなくても何らかの差別化によるポジショニングは必要である。
5.昭和世代かそれ以外か
職場には「背中を見て学べ派」(昭和世代)と「マニュアルをよこせ派」が存在する。
どちらが正しいかという議論に意味はない。両方とも正しいし、両方とも間違っているのである。
私自身、勤め人時代に海外案件で現地スタッフ向けマニュアルを作成したことがある。さらに、駐在時に輸出側である本社の部門のためにマニュアルを整備した。わざわざ他部門のマニュアルを作ったのだ。なぜか?当時、日本側担当者の入れ替わりが頻繁で、業務の質が低下していた。「背中を見て覚える」だけでは仕事が回らなかったからである。さらに言えば、受け手である現地側(我々)への対応を円滑にしたかったためだ。
この経験から言えるのは、環境を整えることが本質的に重要だということである。背中を見て学ぶスタイルも、マニュアル重視も、環境次第で活かされるべき手段なのだ。
6.飲み会・残業の再定義
自分の価値観だけで突き進んでも、社会やコミュニティでうまくやっていくことは難しい。
結局のところ、仕事しやすい環境をどう整えるか、社会との関わりをどう差別化に活かすかが核心である。
飲み会に出ない、残業をしない。これらは「目的」ではなく「手段」として捉えるべきである。己のためにどう利用するかを考えることが、人生を有利に進める差別化戦略につながる。
7.まとめ
- 飲み会・残業は目的ではなく手段として活用すべき
- 社会に合わせたうえで差別化戦略を仕掛けることが重要
- 「背中を見て学ぶ」も「マニュアル重視」も環境に応じて有効
- 組織に残る選択も、転職という選択も、差別化の一形態である
- 最終的に大切なのは 自分が成果を出しやすい環境を整える視点
あなたは「差別化を避ける生き方」で、未来を切り拓けると思うだろうか?