1.健康に一層気を遣うようになった。
16時間断食をベースに毎食時のサラダ丼一杯は勤め人時代からの継続であるが、タンパク質を主体にした昼食に変え、夕食は好きなものを食す(制限を与えない)但し、アルコールは週3日間の週末だけとした。24階までの階段で上るのはオフィスに行く必要が無くなり、やめた。筋力の減退に抗うように、筋トレの量を増やした。60分~90分で週4回。それは健康寿命と寿命がほぼ同時期にできないかという発想からだ。勤め人の時は、年1,2回熱で寝込む事があったがそれも全くなくなった。風邪で2,3日気分悪く、何も出来なくなる時間が嫌で、理由は業務に穴が空くし、そのリカバリーするために労力を要するためだった。残念ながら、皮肉なことに今現在は、その必要性が低い。もっと早くやっておけばとも思う。睡眠はほぼ8時間以上は確保するようになった。目覚ましで起きる事もやめた。音による目覚めのストレスは良くないとの研究結果もある。見る夢は相変わらす変わらない。大学受験、その後に独り暮らしのアパート暮らしだったり、勤め人時代の上司とのやりとりだったり、だが、最近珍しく行ったことのない街をバイクで走っているのだが、各所にバリケードがあり、治安が悪そう。何処を走ってるのかと思いきやエッフェル塔の4つ足が見えてパリだと認識するみたいな。夢に対する心理的研究は殆ど無いそうだが、近々、パリに行けるのではと勝手に思っている。
人間は古くから「不安」と共にDNAを残してきたからこそ、生物の頂点に君臨していると言われている。夜中、獣に襲われる不安、農耕時代は天変地異で収穫出来ない。社会生活では人間関係の不安、経済的な不安、精神的不安。さらに、どんな成功者であっても不安あり、人は不安と共生せざるを得ない。逆に言えば、不安がある=人間であると言うことからすると、一生何らかの不安を抱えながら生きていく事を受け入れていくしかないようだ。何をどの程度許容できるかを見極める事が大切なのかもと最近は考える様になった。
2.仕事は意外と好きだった
海外と関係ある事業のコンサルを受ける事となり、業務を通じてわかったのは、自分は仕事が好きだと言うことだ。新規分野のスタートアップを手がけている。近しい分野であったためか課題は想定内のこともあれば、当然ながら組織体系、業界も異なり新たな発見もある。言葉変えると勤め人時代の常識が通じない。これがほどよいストレスとなっていると思う。いい意味でも、悪い意味でも。その中でその課題とどう向き合い対策し、改善していく、形になっていく様が依然として面白みを感じている。でも、ここで留まらない感覚があって、新たなチャレンジする機会を模索中。
3.人間と言えども他の生き物と同じ
人の場合、知性、理性があるからややこやしくなると思う。本能を抑える事が出来ない。
やはり隠居とはほど遠いものであり、それを目指すことは誤りでそのライフスタイルは昭和幻想と思う。それは身内の死によって強く感じた。引退してテレビを観る時間が長くなり、外出する機会が下がり、身体機能が衰えていった。どの生き物も自分の身体能力(手足)を使い、口を通じて体に栄養を運ぶ。それ以前に食物を入手しなければ、そこに辿り着けない。古の先祖は、食物連鎖の地位は高くなかったため、社会を作って共存する事でここまで来た。だが、結局の所、自分で糧を得られなくなったら、死の選択しかないのが自然の摂理であると思う。だとすれば、自分で狩りに出かけ獲物を、農作物を育て収穫する、それを自分の手で口に運ぶことが出来なければ、死を選択するという事かもしれない。何らかの糧を得る方法は2つあり、ひとつは仕事、投資などの経済活動、もうひとつは身体機能維持で己の手で処理できるいわば健康を確保することとなる。今はこの2つは生きる機能維持のため、確保したいと思っている。
だが、恐らく究極は健康の確保だと思う。
いざ狩りに出かける準備をしておけと言うことだと思う。マイブームであるフリーダイブは本能的にそうさせているのかもしれない。
わかったのは、
FIREは状態であって、目的ではない。
FIREという目標を持つのがいいがそれは状況であって、目的ではない。