1.OB会で感じた 「会社人生のその後」
先週、勤め人時代のOB会に参加した。
そこには、私が若手の頃に憧れていた大先輩方が多く集まっていた。
だが、ひとりの大先輩が脳の病を患っていた。定年を越え、70代半ばまで現役で働き続けていた方である。
「会社に尽くし、忠誠を誓った人生」だったに違いない。
しかし――今、その姿を見て本当に
幸福だったのだろうか、と思わざるを得なかった。
もう一人の元先輩は、退職後にやりたいことが見つからず、職業訓練校で簿記の勉強を始めたという。
エンジニアとして活躍していた彼は、経営の数字を自ら扱うことがなかった。
新しいことを学ぶ姿勢は素晴らしいが、
「なぜ今それを学ぶのか」という目的意識は薄いように感じられた。
2.「会社に尽くす」脳の罠 ――報酬系の固定化
脳科学的に見ると、長年「会社のために尽くす」行動を続けていると、脳の報酬系(ドーパミン経路)が「会社=報酬源」として固定されてしまう。
これは一種の条件づけ(conditioning)であり、「上司に認められる」「成果が評価される」ことが快感と直結する。
しかし定年とともにその報酬源が消えると、ドーパミンの出る機会が急激に減少し、意欲の低下・認知機能の低下・抑うつ傾向を引き起こしやすいとのこと。
つまり、「会社中心の人生」は神経回路レベルでリスクを内包しているのであろう。
3.「仕事に尽くす」は 自己決定のプロセス
一方、「仕事に尽くす」ことは全く異なる。
それは、自己決定理論(Self-Determination Theory: SDT)でいうところの「自律性」「有能感」「関係性」を満たす行為である。
- 自律性:自分の意思で選び、動くこと
- 有能感:スキルや知識の成長を感じること
- 関係性:他者とのつながりを実感すること
「会社に尽くす」は他律的だが、
「仕事に尽くす」は自律的であり、
自分の人生の軸と結びついている。
4. 行動経済学でみる「キャリア依存」と「選択の自由」
行動経済学的には、長期的なキャリア判断では「サンクコスト効果」が働く。
すなわち、「ここまで投資してきたから離れられない」という心理バイアスである。
会社に長く勤めるほど、「辞める」ことが損失のように感じる。
しかし、実際には過去の投資は回収不能なコストに過ぎず、未来の幸福に寄与するとは限らない。
さらに、「現状維持バイアス」が加わると、「変わらないこと」が心理的に安全に感じられ、
学び直しや転身のような「変化」にブレーキがかかる。居心地が決していいとは言えないが、そこに留まる。
これらのバイアスを乗り越えるには、
「自分の報酬源を自分で作る」発想が不可欠であろう。
5.自分に尽くすとは 「報酬回路の再設計」である
私は20代の頃から「どこでも通用するビジネスマン」になりたいと考え、
技術、英語、会計、法務、海外駐在、経営と、分野を横断して学び続けてきた。
結果的にそれが、会社の看板を外しても生きていける一歩になってる。
心理学的に言えば、これは「内発的動機づけ」の強化であり、
脳科学的には「報酬回路の分散化」だ。
つまり、会社という単一の報酬源ではなく、学び・挑戦・成果・人との関係といった複数の快感ループを自分の中に持つこと。これがキャリアのレジリエンス(回復力)を生む。
6.年齢の“現実”が 教えてくれたこと
OB会に出て感じたのは、
「会社中心の人生を終えたあとの空白」にどう向き合うか、である。
組織を愛した人ほど、その空白は大きい。
だが、人生の決定権は常に自分にある。
70代まで働き続けて病に倒れた方も、
簿記を学び直す元エンジニアも、
結局は「自分の人生をどうデザインしてきたか」という問いに直面している。
7.会社ではなく、自分に尽くせ
「仕事に尽くすのはいいが、会社に尽くしてはいけない」。
それは単純な言葉並べではない。
心理学的には「自律性の確保」、
脳科学的には「報酬回路の多様化」、
行動経済学的には「未来志向の意思決定」である。
誰しも、会社をいつか去ることになる。
だが「自分の中に積み上げた仕事の意味」は残る。
だからこそ、尽くすべきは組織ではなく、自分自身なのである。