やらないことを決める

勤め人

暇になったらスマートフォンを触っている。ひとりで電車に乗っていて、スマートフォンを見ていない人は殆ど見かけない。その内容は、ゲーム、SNSだ。そこまでそれに時間を使う意味はあるのか?理由は、暇だから?、気分転換だからいいと言うがどれほど気分転換を続ければいいのか。言い方を変えれば、今を生きているといえる。過去に縛られず、後悔にふけることなく、未来に不安を感じる事もない、その時間は。
現実逃避をいう言い方もある。今を生きているのか、単なる現実逃避なのか。

人はその時々、立場によって見え方が異なる。例えば、ある葬儀に参列して幼児が騒ぎ立てていたとする。あなたはどう思うか?このような席で子供を自由奔放にさせておいて。(親の顔が見たい)となるだろう。その後、その子の親が他界した葬儀だったと聞かされていたら。世界の国々の戦争はいい代表例かもしれない。皆それぞれの思いが行動となっている。それぞれの解釈がある。それはそれでいたしかたない。けれども、今、自分が置かれた立場、職場でも、それ以外の場所でもそれはあなたが本当に望んでいるものか、そして、未来永劫に継続が約束されているものなのか。今一度考える時間を持つべきだ。

それには一旦、デジタルディバイスの電源をOFFにし、時間を捻出する事だ。

これが、最初のやらない事だ。
やらない事を決める第一歩だ。

捻出された時間で少し考えてみる。人間やりたい事すべてはできない。イーロン・マスクでも、どんなセレブであっても与えられている時間は1日24時間と決まっている。人はその秒針の動きで1秒、1秒死に向かって歩んでいる。(あまり考えが及ばないし、考えたくもないが)

でもこれを理解している人は、
やらない事を決めている。

しかも、どんなちょっとした時間でもである。私が勤め人をしている時、その上司は、留守電に「○○です、電話かけ直して下さい」といつもメッセージを残していた。この電話の意味が全く理解出来なかった。どのような内容で電話しているか判らないからだ。わかれば、予め準備をして電話をかけ直す事が出来る。内容によっては、パソコンを立上げてデータ、詳細の確認が必要かもしれない。その場合、明らかにその案件で二度手間となる上、時間が浪費されてしまう。もっと言えば、留守電に残す必要すらない。上司から電話があれば掛け直すからだ。それ以来、

他人の時間を大切にしない人とは
仕事はやらないと決めた。
これは非常に大事な事である。

勤め人であってもだ。それから、メールの返信も全てにはしないようにした。例えば、レポートを挙げてそれを確認すればわかるのに暗にメールで問い合わせきたりとか。自分で確認する事を怠り、他人の時間を使う。責務の果たしていないか、能力が低いのか。格段に業務の作業性が向上した。さらに、会議も選んで出席するようになった。逆にいえば、自分の仕事の姿勢も当然かわる。相手の時間も大切にする様になる。双方でそのような意識があれば、生産性は上がる。

JTCだど同調圧力に晒されるが意を決してするべきであり、自分の人生を生きる上で最優先重要事項だ。これにより、次の段階に進む。自分のチームが瑣末な業務から解放され、チーム内の作業効率が高いレベルで維持されるからだ。それでは、組織で共生出来なるなるのではという人もいるかもしれない。でもそれは少し違う気がする。共生はGive and Takeで成り立つ。その意識がない人だからこそ、瑣末な依頼をしてくる。そもそも、Give and Takeの関係性になり得ない。Give出来ないのだから。このような方々を最近ではTakerと呼ぶらしい。勤め人をやめた後、前職の後輩と話しをする機会があったのだが、私の後任の上司に代わってから、必要の無い業務が増えた。いかに以前はそれらの業務を跳ね返し、拒絶していたかわかったと。その作業に追われるため、帰宅時間が大幅に遅くなっていると。残念でならない。

勤め人でも、やらない事は決められる。

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