右肩上がりの昭和に生まれ、大量生産、大量消費の時代。画一化された教育の寵児。
1.5歳 冒険家

保育園内の習い事で好きでもないオルガンを習わされ、レッスン終了後、送迎の車を待てずに同級生4人引き連れ、2kmの道のりを徒歩で帰ろうとして、半ば過ぎたあたりで、スバル360を運転する恰幅のいい女性園長に保護され、問い詰められる。
2.10歳 外人
大手飲料メーカーのプロモーションでヨーヨーブーム到来。街角の一角で、パフォーマンスする米人で初めて英語を話す事にトライ。「How do you like Japan?」返事は理解出来ず。
3.13歳 サッカー小僧
小、中、高校と8年間サッカーに明け暮れる日々。小学校の時は体型重視でディフェンスだったが、攻めたい意識が強すぎて中学ではフォワード、この頃から先輩に生意気と言われ出す。最終的にはミッドフィルダーで試合指揮する立場に。この時はマネージメント感覚の育成になっていたとは思いもよらず。
4.18歳 国立大入学
地方国立大学入学し、故郷を離れ、一人暮らし開始。周りの寮、下宿生活者は大学に出向かず、学年が変わらない人が増えていった。バブル絶頂期に入っていく。
5.22歳 就職全盛期失敗
バブルの終わりかけだったが売り手市場、理系が有利下で就職活動に入っていくが、国立大卒、大手メーカー就職のバッチへの興味も持てず、やってきた事とやりたい事の狭間で苦悩、タイムリミット。半年後、33年間務める事になる海外展開している会社に就職。
6.23歳 大人になる
会社でどうキャリア設計するか、社内で独自性と差別化を極めることを決意、人生覚醒。舶来品の競合他社の登場で為替に興味を持ち、市場原理に目を向けるようになる。
7.27歳 海外への登竜門
努力の甲斐あって、国内営業から海外事業部へオファーがあり、東京本社へ。電車通勤片道1時間半のストレスで蕁麻疹が出る事もあったが、問題が起きるのはそこに既に解決策が埋まっている。との言葉を手掛かりに事なきを得る。
8.30歳 サラリーマン和僑、駐在への道へ

23歳で大人になっていたので、先陣組の同僚二人より先に海外駐在の切符を手にした。シンガポール3年、タイ3年の駐在。日本の常識は、世界の常識ではない事を目の当たりに。市場原理、人生設計を考えるようになり、読書好きとなる。ある書籍から貴重な四文字熟語「不労所得」に出会う。預金で金融資産数千万円となり、お金との向き合い方の模索開始。華僑を知る。
9.35歳 充電期間
国内営業で修行僧となり、英語力も酷い事を自覚。取り憑かれた様に学習に取り組み、TOEIC 800点迄改善。英語においても先陣同僚を巻き返す。更に上のスコアを目指していたが、断念する事に。この生意気な気質を生かすためか、インド駐在の切符を手にした。だが、それは片道切符だった。
10.38歳 インド武者修行

インド合弁会社取締役、同社と新規事業立ち上げの交渉。インドは、世界の常識外であることを目の当たりに。ガンジス河で沐浴しても世界観は変わらず、日本人である事を噛みしめる。印僑と対峙する。
11.41歳 和僑熟成
グローバル経営の実務で「現場感覚」と「戦略的視点」を融和しながら、データドリブンの経営判断、チェンジマネジメントを武器にグローバルオペレーションの専門職の道へ。14年間ベトナム、インドネシア、アメリカ、タイ駐在でせっせと収益(会社)、収入(個人)アップに精を出し、金融資産を徐々に増やす。
12. 55歳 経済的自由
海外駐在生活に終止符へ自ら引き金を。時間と資産を天秤にかけたら、時間との結論に。